2007年05月31日

リズムアンサンブルの心地よさを考える(2)自分のテンポどりを無くす

さて、前回の続き。2.の問題解決にまいりましょう。

 では、前回同様に、私の指揮動作で演奏してください。あれあれ、すばらしい!ピッタリですね。しかも心地よい!実は皆さんがそれぞれ自分自身のテンポどりを無くしてくれたのでうまくいった訳なのです。

 テンポが合わないと、みなさんそれぞれがテンポを「正確に」しようと懸命にテンポをとりますね。だれそれが「遅れる」かれそれが「走る」など指摘されると、なおいっそう無我夢中で各自「正確な」テンポをとろうとするのです。ところが、個人個人それぞれ「正確」だと思ってとっているテンポが常に他人と「同一テンポ」だったとしたら、マグレもいいいところ。それに気味が悪い!不可能です。だから当然合わない!

 全員がそれぞれ「自分は正確に!」と思いこんでいるが、しかしその実体は、全体としてはバラバラな各々勝手なテンポで同時に演奏しようと、無理なことを強引にやっているにすぎないのです。正確と思うテンポならば、「リズムは合うはず」ということはないのです。

 指揮動作を見て演奏することとは、先ほどのような「それぞれ」を無くすことができて、メンバーが同一テンポで演奏ができるというこなのです。指揮者が居ない場合は、個人個人が自分のテンポどりをやめて、全員で一つのテンポをとるように意思疎通することです。

 テンポが揺れても、全員で同様に揺れれば、そしてそこに全員の意思があるならば素晴らしいことなのです。前回の1.が解決していれば、問題なく楽しくアンサンブルできるのです。だから、rit.やaccel.のようなテンポの変容や、楽譜の表記にはない味わいとしてのテンポの揺らぎといった「アゴーギク」が可能なのです。


 
 
posted by ひかちゃん at 23:41| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月30日

リズムアンサンブルの心地よさを考える(1)指揮動作から学ぶ

比較的技能の高いメンバーによるアンサンブルでも、どうもリズムが合わない、ということが起こります。個人個人は十分にリズムの構造を理解していて演奏も出来るのに、アンサンブルで心地よく合わない、という現象です。メンバー個人個人違いはあるとして原因は三つあると思います。

1.リズムのもととなるカウントはできるのにそのカウントのとり方に問題がある。

2.リズムのもととなるカウントはできるのにそのテンポのとり方に問題がある。

3.上記1.2.の両方に問題がある。

それぞれが解決できれば安心で楽しいリズムアンサンブルができることでしょう。

今後1.と2.について述べたいと思います。

今日はまず、1.のカウントのとり方について。


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posted by ひかちゃん at 19:07| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月26日

他のメンバーが演奏しやすいかをお互い考えよう

アンサンブルの中で「自分がいかに自分として上手く演奏するか」ばかりを文字通り考えて行動すると、他のメンバーがあわせにくいと感じたり、一緒に弾くと弾き心地が悪いと感じたりしてしまいます。皮肉にも一生懸命やればやるほど、そのような結果を生んで、メンバーに我慢を強いてしまいます。

 もしあなたが本当に良いパート担当者となろうとするならば、どう演奏したら他のメンバーが演奏しやすいかを考えてみましょう。そのように演奏すれば他のメンバーはそれに呼応して大変良く合わせてくれますし、それこそあなたの為にとてもよい演奏をしてくれることでしょう。

 その結果、本当はは他のメンバーがあなたのために良く演奏してくれているのにもかかわらず、「あの人と弾くと、合わせやすい」「あの人と演奏すると安心でとても演奏しやすい」「あの人と演奏すると楽しい」という評価と信頼をあなたは得ることになります。このような良好な関係がメンバー全員お互いの間に常に保たれていれば、大変良い演奏結果を生むことになるでしょう。
posted by ひかちゃん at 23:34| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

パート演奏は曲全体を演奏しているのです!

アンサンブルの練習は、他の人との演奏練習のことです。自分が上手に演奏しようと練習することではありません。

 メンバーだれもが、パートの担当責任をはたそうと「どうしても自分が上手く演奏しなければ」と強く思うのは当然です。しかしそれを果たそうとするあまり、結局「いかに『自分』が上手く演奏できるかどうか」が練習や演奏の興味目的になってしまいがちです。アンサンブル全体を考えることを忘れてしまっては、逆に「パートの担当責任をはたす」どころか、「他のメンバーに迷惑をかけてしまう」ことになってしまいます。

 人とのコミュニケーションをとりながら演奏する楽しさ面白さを味わいながら、あるいは味わえるまで「人と練習する」ことが絶対に必要です。メンバーが共に同じ感覚で拍子やテンポをとりながら演奏しようと練習しているときに、誰か一人でもメトロノームやmidiに合わせたような(おそらく自宅で行っているのでしょう)自分なりの個人練習を行うのは許されません。アンサンブルの練習現場では、みんなと共に同じ気持ちで練習をしないという意味で、これも一種の自己流と言わざるをえません。

 本番演奏の現場で、独り相撲を演じてしまわないように、自己流でなく常に他のメンバーと共に練習してください。

 パートを担当することとは、メンバーそれぞれがバラバラに「『自分』が『自分のパート』を演奏すれば曲が出来るのダロウ、そのハズ」と思うことではなく、「『メンバー全員』で『曲全体』を演奏している」と実感することなのです。

 
posted by ひかちゃん at 08:40| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月20日

過去に憧れたなら・・

 私がプロになったのは、アマチュア時代、仲間にもてはやされたからではありません。確かにアマ時代少しは花形だったかもしれない、しかし、それがプロになって活躍することとはあまり関係はないのです。実はその後に、どれだけの努力をしたかが重要なことだと思うのです。実際、アマ時代からプロになるまで、相当な準備と年月がかかりました。

 プロとなった私の編曲や活動を、独自・独特なものと言う方々が居ますが、私には一般音楽界では勉強の結果として誰彼関係なく当然の表現だと思っています。また、まるで私が始めから独特な(彼らにとってですが)書法の使い手のようにおっしゃる方々もいますが、私の中では年月は切れ目なくつながっていて、私がアマ時代からプロへ変化してきた結果なのです。

 もしアマの花形時代が最高だったと自分で思ってしまったら、決してプロにはなれなかっただろうと思います。もっと理想的に、もっと的確に伝わるように、もっと美しく、もっと・・、「音楽家は飽くなき理想の追求者」と教えてくださった、多くの先生方の言葉を常に思い活動してきたおかげだと思います。

 過去の華やかなりし時代にもどって、旧交を暖めるも、再びアマ花形の地位回復に憧れるもそれぞれあってよろしいでしょう。私はまだまだ現役プロとしてどこまで出来るか、やれるところまで理想を追求し続けたいと思っています。もし、自分の中で自分の過去に憧れる状況が訪れたら、限界を悟るのかも知れませんが、「幸いにして」きっと私の「もっと」はどこまでも続くのではないかと思っています。
 
posted by ひかちゃん at 01:29| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月18日

楽譜の悲しい思い出

思い出話を一つ。まことに悲しい思い出です。
 
 今からもう二十数年前になる。かつて自身が関係していた学生ギターアンサンブルを、かれこれ10年間時折訪れては指導していた。あるとき「たまには見てやって」との関係者の進言で久しぶりに練習場を訪れた。そのときやっていたのがかつて私が編曲したことがある曲。さて今度はどんな編曲かなと聴いていたら、まさに聞き覚えのある私の編曲そのものだったのです。間違いなく10年ほど前に演奏会にも使用された曲。楽譜をそのサークルに私が遺したものだったのです。ところが、編曲者の名前が私ではなく、そのときの学生指揮者の名前になっているではありませんか!
 古い資料として遺された曲の編曲者が、まさか自分たちの練習場に現れるとは思わなかったのでしょう。
 
 ところで最近、歌手のM氏が作詞家K氏の作品を勝手に手を加え、それがもとで騒動になった。マスコミは「いつ解決するのか」「どのように決着するのか」などと言っていたが、愚かなこと。あの場合もう結論はでている。というより、解決がついているのですね。K氏はM氏との縁を切ったのです。これで解決しているのです。謝罪されたって、歌を元に戻されたとしたって、関係が元に戻ることなどないのです。

 さて、先ほどの事件ですが、友人は「ひとこと言ったほうがいいよ」と私に言ってはくれましたが、私はその気にもなれませんでした。心の中はいろいろな意味の「悲しさ」でいっぱいだったのです。「もういやだ!」私の心は即座にある決着を見たのです。そう、その団体にはもう行かない。いや、行けない。被害に遭った人間がその場に行けなくなるがごとく、思い出深いその団体との縁を切ったのでした。それ以来私は、その団体を訪れてはいません。
posted by ひかちゃん at 00:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする