2007年11月25日

内向きな選曲から伝える選曲へ

先日の、ある一般向けコンサートで気になることが。

 ある出演者、いったいこの方は、何のためにこの曲を選曲したのか、誰のために選曲しているのだろうか、さらに言うといったい本当はいったい誰のために演奏したのか、と疑問に思って気にかかったのです。このままではまだまだ残念な結果が続くのではと思ってしまうのです。もっと真の実力を発揮して欲しいと願っているのですが・・・。

 自分の担当楽器の関係団体、関係組織に向かってのアピールのためなのか、それらの代表としての重責からか、あるいは、その中での自己の地位や経歴のためなのか、その関係者のためにその曲をやや義務的にやむを得ず選曲したように思えてなりません。もしそうでないにしても、演奏結果としてあえて内向きな選曲であった、という感想を抱かざるを得ません。

 内向きな選曲は、それなりの実力を持ちながらも、それ以上にプレッシャーと恐怖心に苛まれ、その楽曲の音列、音形も表現しきれない、だからその曲のムードやその曲が述べようとしていることも、いっこうに伝わらないのでそれと知れる。

 考えてほしいのは、単に扱う楽曲の難易度でその人の演奏評価が決まるのでなく、楽曲のもつ意味とそれに関する演奏者の解釈や考え、そして意思が人々により深く伝わり、訴えられたかが、その人の演奏評価になる、と言うこと。

 演奏者は伝える喜びを持って演奏して欲しい。その喜びを味わうために日々研鑽を積んでいるのではないでしょうか。
posted by ひかちゃん at 00:38| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする