プロとなった私の編曲や活動を、独自・独特なものと言う方々が居ますが、私には一般音楽界では勉強の結果として誰彼関係なく当然の表現だと思っています。また、まるで私が始めから独特な(彼らにとってですが)書法の使い手のようにおっしゃる方々もいますが、私の中では年月は切れ目なくつながっていて、私がアマ時代からプロへ変化してきた結果なのです。
もしアマの花形時代が最高だったと自分で思ってしまったら、決してプロにはなれなかっただろうと思います。もっと理想的に、もっと的確に伝わるように、もっと美しく、もっと・・、「音楽家は飽くなき理想の追求者」と教えてくださった、多くの先生方の言葉を常に思い活動してきたおかげだと思います。
過去の華やかなりし時代にもどって、旧交を暖めるも、再びアマ花形の地位回復に憧れるもそれぞれあってよろしいでしょう。私はまだまだ現役プロとしてどこまで出来るか、やれるところまで理想を追求し続けたいと思っています。もし、自分の中で自分の過去に憧れる状況が訪れたら、限界を悟るのかも知れませんが、「幸いにして」きっと私の「もっと」はどこまでも続くのではないかと思っています。