ひょっとして、「コ難しくてシチ面倒くさい音楽」から逃げたい解放されたい、という気持ちがあるのではないですか。言葉を足してみると、「『自分』に自由が無い、『自分』が縛られるのはいやだ。」と私には聞えてならないのです。自由に音楽をやりたいというのは「我すなわち音楽なり。」という境地に達した神や仙人のごとき大巨匠の言葉なら理解もできますが、我々にとっては大変難しいことで、人によっては目標であり、またある人によってはまさに夢なのです。
さて、音楽はだれもが持っている情操なのであって、それを発散させないのは、皮肉にも「自分」という殻を頑固にまとっているからと考えてみてください。自意識による部分的で表面的な演技が邪魔で音楽が素直に伝わらない演奏、逆にテレや表現の躊躇による平坦で伝達力を感じない演奏などがその現象です。
音楽から自分を解放するのでなく、音楽を自分から解放させて発散させたいものです。そういった意味での、「自分を『無』にする」と言うことなのです。